研究の経緯

学生のころ、立川先生が書かれていた論文の背景についてのコメントをよく読み、とても勉強になりました。最近では、押川先生も研究の経緯を紹介されています。そこで、誰かの参考になることを期待して、自分もこれまでの論文を書くにいたった経緯を記そうと思います。


[2307.08218] Singular-Value Statistics of Non-Hermitian Random Matrices and Open Quantum Systems
with Zhenyu Xiao, Tomi Ohtsuki, and Ryuichi Shindou

非エルミートランダム行列や量子開放系の複素固有値統計はいろいろ調べてきたが、量子カオスの判定をするという目的だけであれば、固有値にこだわる必要はなく、特異値を考えることもできるだろうと、ある時点で気がついた。2023 年始、年も変わったのでがんばろうと思い、集中的に取り組んでみた。まず非エルミートランダム行列の特異値統計を数値計算で調べて観察すると、エルミート化の方法で系統的に理解できることに気づく。いくつかの対称性クラスでは、見慣れない統計が現れたが、小さなランダム行列で解析的に計算してみると、合理的なことがわかった。特異値統計がどれくらい普遍的で、局所的な物理系の量子カオスをどれくらい捉えることができるのかは自明ではなかったが、非エルミートハミルトニアンでもリウビリアンでも、非エルミートランダム行列と整合する結果が得られたのだった。複素固有値統計の計算では、統計量が 2 次元的に広がるために計算が難しく、有限サイズ効果などが微妙になるが、特異値の場合は 1 次元的で計算がずっと易しく、実践的に役に立つだろうことに途中で気づいた。プリンストンで論文を書き始めて、日本で完成させた。  


[2305.16496] Lieb-Schultz-Mattis Theorem in Open Quantum Systems
with Ramanjit Sohal and Shinsei Ryu

東京で大学院生をしていると、何人かの著名な先生の影響で、自然と Lieb-Schultz-Mattis (LSM) 定理に詳しくなるものだった。とくに、開催された経緯はよくわからなかったが、2020 年 11 月に渡辺悠樹先生によるセミナーがあり、たいへん勉強になった(同様の内容はその後にとして出版されています)。セミナーを聴いていると、量子マスター方程式でも同様の(押川先生流の)やりかたで LSM 定理が導けるように思い、セミナー中に質問もしたが、当時は密度行列に対する対称性やゲージ化の理解が不十分でよくわからなかった。

2 年後、プリンストンでポスドクをしていたころ、2212.00605 の研究を通じて、密度行列の対称性の理解がようやく進んだ。このとき、密度行列で記述される量子相についての論文がちょうど現れ始め、Raman さんとよく議論していた。そういうわけで量子開放系の LSM 定理を考え直してみると(2022 年末)、素直に導くことができ、Haldane ギャップと同様にスピン 1/2 とスピン 1 の違いもたしかに見られた。また、同じ時期に IAS で Seiberg 氏が 2211.12543 のセミナーをされて、量子異常についての議論は密度行列にもただちに応用できたので、いろいろ調べた。ちなみに、前述の渡辺先生の本はこの時期に出版されて、日本から取り寄せてプリンストンで読んだ。

論文が PRL で出版された直後、Journal Club for Condensed Matter Physics で紹介されて、驚いた。


[2304.03742] Hermitian Bulk – Non-Hermitian Boundary Correspondence
with Frank Schindler, Kaiyuan Gu, and Biao Lian

プリンストンに来てすぐ、Schindler さんと廊下ですれちがった。言うまでもなく、Schindler さんは高次トポロジカル相の最初期の研究をしており、論文もよく読んでいた。せっかくプリンストンに来たのだからと思って話しかけてみると、Schindler さんのほうも自分の非エルミート系のトポロジカル相の研究をよく知っているとのことで、ちょっと感動した。それからわりと仲良くなって、共同研究もできたらいいねと話していた。

半年ほど時間が経って、2022 年 10 月 7 日、Lian さんのグループミーティングで学生の Gu さんが 1805.09632 について発表するというので聴講する。セミナーが終わったあと、同じくセミナーに参加されていた Schindler さんが、カイラルエッジ状態に点ギャップが開いてトポロジカルに非自明になりうるかと尋ねられる。しばらく考えると、そういう状況は可能で、しかも上記の以前の論文の模型で実現されていることに気づく[たとえば Fig. 3(c,d)]。さらに考え続けると、他の対称性クラスや高次元系への一般化も可能で、とくに 3 次元系では 2205.15635 の結果を踏まえると表皮効果以外の現象も生じるだろうこともわかった。それらの観察をまとめて、セミナーの日の夜のうちに Schindler さんらにメールで送ると、たいへんよろこばれたので、一緒に調べた。1805.09632 では、単なる表皮状態以外にふしぎな表面状態が現れていることは数値的に確認していたが、当時はよく理解できず、ずっと気になっていたので、あらためて考える機会となってありがたかった。

この研究は誰とも重なることはないだろうとかってに思っていたら、予想に反して重なってしまい (2304.01422, 2304.08110)、恐縮した。


[2008.07237] Higher-order non-Hermitian skin effect
with Masatoshi Sato and Ken Shiozaki

1910.02878 で、非エルミートな 1 次元系に固有のトポロジカル不変量は表皮効果を導くことが明らかになった。そうすると、異なる対称性クラスや空間次元のトポロジカル不変量を考えると、異なるタイプの表皮効果が現れることが期待される。その典型例として、2 次元 2 次トポロジカル絶縁体(Benalcazar-Bernevig-Hughes 模型)から対応する非エルミート系を引き出すと、たしかに高次非エルミート表皮効果と呼べるような現象が生じた。得られた模型を見返すとシンプルだが、やみくもに構成するのは難しく、一般論の重要性を再認識した。

この結果は 1910.02878 の論文を投稿した直後には得られていたが、論文を書くのはまた先延ばしにしてしまっていた。そうしていると 2008.03721 が投稿され、こちらも急いで論文を書いた。どちらの論文も高次の非エルミート表皮効果を議論しているが、考えている対称性が異なり、興味深いと思う。

論文を投稿した数か月後に 2012.144962102.09825 で、高次表皮効果が実験的に観測され、驚いた。


[2005.00604] Nonunitary Scaling Theory of Non-Hermitian Localization
with Shinsei Ryu

研究を始めた当初 (M1)、Hatano-Nelson の論文を読んだとき、つぎのようなことを疑問に思った。Hatano-Nelson 模型は、Anderson 転移を示す非エルミートな 1 次元系である。エルミートな 1 次元系では、(対称性がない場合)無限小の乱れで Anderson 局在が生じ、それゆえに Anderson 転移は起きないので、Hatano-Nelson 模型における Anderson 転移は非エルミート系に固有の相転移現象である。ここで、エルミートな 1 次元系における Anderson 転移の不在は、有名な 4 人組のスケーリング理論によって保証されているので、Hatano-Nelson 模型の存在は、スケーリング理論が非エルミート性によってなんらかの変更を受けることを意味するはずである。とくに、前述のスケーリング理論はほとんど次元解析のようなもので、それゆえに非エルミート性があってもどのように変更を受けるのか疑問だった。これは基本的な問題のように思えたが、文献を調べても答えを与えた研究はみつからなかった。Anderson 局在(を含むメゾスコピック物理)は、学部生のころから関心をもって勉強していたこともあって、いろいろ研究したかったが、まわりに議論できる相手がおらず、わからないままだった。

2 年ほど経って (D1)、2019 年 6 月、Flore Kunst さんが京都を訪れるということで、基研でセミナーをすることになった。現地でセミナー発表すると、どういうわけか笠さんも出席されていた(おそらく長期ワークショップに参加されていた)。セミナー後にすこし話す機会があったが、笠さんは昔に Anderson 局在・転移の問題を研究されていたことを知っていたので、上記の疑問を尋ねてみると、いい質問だと言ってくださった。非エルミート系で DMPK 方程式を調べればいいのではないかと教えてもらい、またBeenakker のレビュー論文や笠さんの博士論文を紹介してもらい、勉強して調べた。同じ設定で対称性の効果も自然に調べられることもわかったが、1904.130821910.02878 の研究等で相反性が最も基本的な対称性であることが推測できたので、それも調べた。なお、最初の疑問は、4 人組のスケーリング理論は単一パラメタースケーリングを仮定しており、特定の(Hatano-Nelson 模型で見られるような)非エルミート性は有意なパラメターを与え、単一パラメタースケーリング仮説を破ることが原因であると理解できた。

こういうわけで、以前から問題意識をもっていたものの、議論する相手がおらず考えられていなかったので、議論してくれた笠さんはとてもありがたかった。


[2004.01886] Real spectra in non-Hermitian topological insulators
with Masatoshi Sato

1812.09133 で具体例として調べた対称性に守られたトポロジカルレーザーの模型について、すこし対称性を変えると非エルミート性があってもバルク・エッジの両方のスペクトルを実にできることを、佐藤先生と議論していた。このことは、1107.1064 での、トポロジカル絶縁体に非エルミート性を加えた場合には全スペクトルを実にはできないという議論が適用できない場合があるということを意味している。この論文は非エルミート系のトポロジカル相を調べた最初期の論文のひとつであったので、今の結果も意味はあるだろうと思い、前の論文と同様の経緯もあって論文にまとめた。


[2003.07597] Non-Bloch band theory of non-Hermitian Hamiltonians in the symplectic class
with Nobuyuki Okuma and Masatoshi Sato

非エルミート表皮効果が起きると従来のバンド理論は適用できず、異なる条件を課したバンド理論を考える必要があるのが 1902.10958 で明らかにされていた。この論文で議論されている表皮効果は、非エルミート系に固有の整数値トポロジカル不変量に由来することが 1910.02878 でわかったが、そうすると、たとえば対称性に守られた Z2 トポロジカル不変量に由来する表皮効果は、さらに新しいかたちのバンド理論でないと説明できないかもしれないと考えられる。実際に、Z2 表皮効果を示す系に 1902.10958 の条件を課すと、対称性のために表皮効果が起きないと結論され、適用できない。Z2 表皮効果を示す具体的な模型を観察していると、新しい条件が推測され、示すこともできた。

この結果は 1910.02878 の論文を書いた段階でおおむね得られていた(というより同時に考えていた)が、論文にまとめるのを先延ばしにしてしまっていた。このあたりの時期で、今後どういう研究をしていくか迷っていたこともあったが、コロナ禍が始まり、細々した結果でもまとめてしまおうと思った(どういう論理でそう思ったのかはよくわからない)。この結果もまとめようと思ったら、その数日後に同じ結果が導出なしで掲載された 2003.02219 が投稿されて、急いで論文を書いた。

この論文は、非 Bloch バンド理論のレビューも含めて、一般論と具体例がいいバランスで述べられていて、悪くない論文ではないかと思う。Zhong Wang さんからもほめられて、ありがたかった。